虚空(××→キッド)
※2012.02.04『闇に棲む蜘蛛』& 2012.02.18『虜』の続きです。他のストーリーとの繋がりはありません。
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ふ、と……気が付く。
目を開けているのに暗い。
どこだろう。
いつだろう。
夢に居るのか、現(うつつ)なのかもはっきりとしない。
背中に感じるのは硬い床の感触。
体を動かす。指、腕。瞼。首。どうしようもなく怠いが、動いた。
それにしても、この怠さは……おかしい。どうしてしまったんだろう、俺は。
下肢を動かそうとして、そのあまりに重く鉛のように鈍い感覚に――ギクリとした。
(ツ…!)
腰と、その奥。背を伝い脳髄まで灼くような痛みに、忌まわしい記憶が蘇る。
おそるおそる自分の体を探った。
服…を着ていた。手袋も、どうやらマントまで。
真っ暗で見えないが、おそらくは元の怪盗の姿に戻っていた。
〝蜘蛛の巣〟に囚われ、素裸にされて―――いたはずなのに。
意識を失っている間に着せられたのだろうか。想像するだけで悪寒が走るほどの屈辱だった。
(落ち着け。自分を見失ったら負けだ)
……それにしても、まったく何も見えない闇なんて。まるで天も地もない空(くう)にいるようだ。
同じ闇なら目を閉じていた方がましだ。このまま闇に閉じ込められていたら、きっと気が狂う。はやく脱出しなければ。
でも――でも、どうやって。
『ご気分は――?』
(!!)
すぐ側で囁かれる、低く謳うような声音に凍りつく。
いる……のか、今も――俺の隣に?
『――いかがですか。〝美しい人〟』
何が、美しい、だ。散々…俺を辱め、貶めておいて。
だが、言葉を発しようとして声が出ないことに気付いた。怖くなる。どうしてしまったんだろう、俺は。
『畏れないでください。もう何もいたしません。今夜のところは』
クク、と密やかに哄う気配に意識を灼かれる。
闇の中で俺は体を起こし、声のする方を手で薙ぎ払った。
『おや、動けますか。さすがです、キッド殿。生半可な意志では体を起こすどころか、指一本曲げることすら難しいはずなのに』
「……何を、した」
かろうじて絞り出した声は、自分の声とは思えないほど掠れ、細く頼りなかった。
「巣に掛かった美しい獲物。私にとってはこの上ない〝ご馳走〟でした」
「……ふざけんなっ!」
もう一度声の位置に手を伸ばしたがまるで手応えがない。どこにいる。
『落ち着いて下さい。まだ私の放った毒が抜けていないのですから――ご無理は禁物です』
毒……?!
『そう、毒が抜ければ目も見えるようになるでしょう。もう暫くのご辛抱を』
……では、この闇は……。
「!!」
頭に何か触れる。帽子が――俺の頭に、おそらくシルクハットが被せられた。
『モノクルもお返ししましょう』
モノクルが掛けられる感覚。俺は腕を振り回し、目の前にいるはずの男の姿に掴みかかった。なのに、いくら手を伸ばしても何もない。だだ虚空を彷徨うだけ。
『――愉しい夜でした……またお会いしましょう。その時は』
その時は…。
ぞくりと肌が粟立つ。いくら強がってもだめだ。この謎の男に…俺はかなわない。恐怖が膨らむ。
『是非、あなたのお心の一片でも頂戴したいものです』
唇に何かが触れる。冷たい感触に悲鳴が出かかる。
意識が途切れた。
明るい。風を斬る音。
加速する―――落下の感覚。
理解する前に体が動いた。かろうじて。
翼が開き、浮遊感に包まれる。
空を飛んでいた。
ハンググライダーの舵を取って恐る恐る背後を振り向いた。
何もなかった。
震えが止まらない。いったい、俺はどこから落下したのだろう。目が覚めるのがあと数秒遅ければ……地に叩きつけられ、死んでいたかもしれない。
逃がされた。わざと。
いつでも簡単に捕まえることができる。そういうつもりなのだ。
見覚えのある街並みが目に入る。
どうしようもない屈辱と敗北感に苛まれながら、それでも懸命に自分を保とうと努めた。
俺を逃した事を、悔やませる。
決してあの男の思うままにはならない。
必死に――そう自分に言い聞かせた。
20120312
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※始まりも終わりも続きもない、と『闇に棲む蜘蛛』で明記した〝妄想〟なのですが、キッド様が拉致されたままなのがどうにも落ち着かず、やられっぱなしではありますが、とにかく男の手から逃れるところまで無理やり書いてみました…(汗)。
[15回]