約束の場所(新一×キッド)
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すべてが終わったあと、俺は〝怪盗〟を封印した。
世間ではキッドがいつまた復活するかと、話題になることも時折りあるようだが。
しかし俺自身二度と怪盗になるつもりがないのだから、怪盗に纏わるすべてを処分してしまうべきなのだ。本来は。
───なのに放置してきた。
そして今夜。
奇跡的に晴れた七夕の夜空を、俺は飛んでいる。
久しぶりに袖を通す怪盗の衣装で。
新月が近い。月がすでに隠れているのは寂しいが、おかげでデネブ、ベガ、アルタイルの三角形の間にうっすらと天の川を臨むことができる。
静かな良い夜だ。
やや強い東風に翼を預け、星々を背に滑空するのはとても気分がいい。
このフライトの快感が、俺が完全に〝怪盗〟から足を洗えなかった理由の一つ。
もう一つ、本当の理由は別にある。
そろそろ目的地だ。
ヤツがいるわけないのに、やっぱり来てしまった。
何の約束もしていないし、暗号を送ってもいないのに。
それでも、もしヤツがいたら、今夜こそ俺はすべてを打ち明けようと思っていた。
そんな都合のよい空想に浸るのは楽しいが、しかし現実はそれほど甘くない。
かつてヤツと対峙した高層ビル屋上の空中庭園は、今は取り壊され殺風景なヘリの緊急発着場になってしまっている。
身を潜める場所も、演出に使える物陰もない。無粋すぎてため息が出る。
やはり今日を最後にすべきだろう。
諦めるには丁度よい区切りの夜だ。
俺は怪盗をやめる。
今度こそ、本当に…。
真っ平らなビルの屋上。
分かっていたが何もない。誰もいない。
当たり前だ。深夜にこんな場所を訪れるのは暇な元怪盗くらいのものだ。
折角だから舞い降りる。
待ち人のいない、待ち合わせ場所に。
最後の着地。
観衆はいないが、精一杯クールに振る舞う。爪先を着き、次に片膝を着き。
白い手袋の指先でシルクハットのつばを抑え。
風に膨らみ大きく靡いたマントがバサバサと音を立てて揺れ、徐々に背に従い落ちてくる。
完璧だ。
終わり。
ついに正体を明かさないままになってしまった。
俺は黒衣の黒羽快斗に戻り、怪盗の衣装をシルクハットに詰めて纏めた。
地上80メートルのこの場所から投げ捨てたい衝動に駆られる。
投げ捨てたらどうなるだろう。
怪盗の思い出は風に撒かれ、バラバラになって地に墜ち、埃にまみれ、それがかつて怪盗の衣装だったことも気付かれずに棄てられることだろう。
それで───いいじゃないか。
なにを躊躇うことがある。
やめたんだ。俺はやめるんだ、怪盗を。
怪盗をやめれば、名探偵のことを考えることもなくなる。
だって、名探偵は本当の俺を知らないんだから。
屋上の縁まで星空を見ながら歩いた。
今夜月がないのも、そういう巡り合わせなんだろう。
「あばよ、怪盗」
シルクハットのつばを掴み、俺は大きく振りかぶって叫んだ。
「あばよ───名探偵!!」
突然、腕の動きが遮られた。
吃驚して声もでない。
風が吹いている。
孤空の高所だ。
自分の吐く息の音も、心臓の音も風音にかき消されて聞こえない。
誰かが背後に近付いていたなんて、まったく気付かなかった。
「やっと捕まえたぜ…キッド」
背中から俺を抱き締め、ヤツはそう言った。
「めい…たん、てい…?」
「絶対現れると信じてたぜ、キッド!!」
「え…?」
「いや。現れてくれと願ってた。ずっとずっと。消えてしまったおまえに再び逢うためにオレは必死だった。どのタイミングでおまえが怪盗として再び姿を見せる可能性があるか、ずっと考えてたんだ」
「違う。俺は…もう」
怪盗じゃない。
たったいま、怪盗の衣装を脱ぎ捨てたんだ。
「今夜はあの日と同じ七夕だ。そしてここはオレたちが初めて互いを認め合った〝約束の場所〟だ」
ぐるりと体を回されて、がばっと正面から抱き締められた。
「…名探偵、何故」
会いたいと願っていたのは俺の方だ。
だが俺は、逆に絶対に逢えないと思っていたのだ。
「最後にちゃんとおまえを捕まえさせろ、キッド。怪盗を終わらせる前に、怪盗としてオレにちゃんと捕まれ!!」
「意味解んねえよ…名探偵」
「嘘付け、解ってなきゃここにこないだろう。頼むキッド。早くオレにおまえの本当の名を呼ばせてくれ…!」
・ ・ ・ ・・ ・ ・・・・・・・・
黒衣のキッドはオレから数歩離れると、シルクハットから何か取り出した。
キッドが腕を振り上げ、それを下に叩き付ける。
ボン、と音がして煙幕が辺りを包んだ。
風が舞う。
視界が奪われたのはほんの僅かな間だ。
だが、怪盗にとっては十分な時間だった。
〝 Ladies and Gentleman !! 〟
華やかな怪盗の声。
マントを翻して腕を広げ、大きく回した手先を斜めに胸に収める───怪盗の最敬礼だ。
「お望みは叶いましたか、名探偵」
「ああ…」
不敵に笑う怪盗に歩み寄る。
オレは手を伸ばした。
怪盗は動かない。
モノクルを指で掴み、そっとモノクルを外す。
瞼を閉じていた怪盗は微かに睫毛を震わせると、ゆっくりと目を開けた。
ずっとこうしたかった。
ずっと夢に見ていた瞬間だった。
「黒羽…快斗か」
「御名答です。名探偵」
「名探偵はもうよせ。オレは──」
「工藤新一だろ! んなこたとっくに知ってらあ!」
急に砕けた口調になった黒羽が飛びつくようにオレに体を預けてきた。
夢中で抱きかかえる。
「捕まえたぞ、黒羽…、黒羽快斗!!」
「うっせ、捕まってやったんだよ。工藤のバカヤローッ」
突風が吹き、怪盗のシルクハットが天高く飛ばされた。
風に靡いていたマントも、黒羽が肩を押さえると服から外れ、途端に空の彼方へ飛ばされてゆく。
オレたち二人しかいない真夜中のヘリポート。
思い出の庭園は失われても想いは繋がっていた。
交わすことのなかった約束を、オレは信じていた。
必ずまた逢えると。
二度と離さないと。
20180708
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※このブログ普遍的イメージ…でした(*_*;
●拍手御礼
「硝子の欠片」「欠落月」「密室」「四つ葉のクローバー」へ 拍手ありがとうございました(^_^)ノ
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