ステア(優作&キッド)
カテゴリ★デジャヴ
※優作さん視点。
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都心の高層ホテルの一室。
上着をベッドに放り投げ、タイを緩めて私は大きく伸びをした。
窓からベイエリアを見渡すと、林立するビル群の上にぽっかりと浮かぶ白い月を見つけた。
今夜は自宅に戻っている妻とは別行動だ。編集者との打ち合わせが延び、私はそのまま疲れを理由にホテルに泊まることにした。
妻には内緒だが、ロスにいても済ませられなくはない用件だった。
それでも半日をかけ今回また日本に戻ってきたのは、予感があったからだ。
今夜は怪盗キッドが現れる。
いまごろ私の息子が、キッドと相対していることだろう……。
空を見る。あと数日で満月を迎える月は少しだけ欠けていた。そのせいだろうか、今夜の月に重なるのは先代怪盗キッドではなく、年若く果敢ではあるが同時に危うさを秘めた(私の老婆心がそう思わせるだけかもしれないが)二代目キッドの姿だった。
怪盗キッド。
黒羽盗一。そして、黒羽快斗────。
想いは浮かんでは消え、瞬いてはまた浮かび、私は空の月から目が離せなくなってしまった。
仕方がないので、グラスに氷を入れ、ミニバーの洋酒を少しだけストレートで注ぎ、手に持って出窓に腰掛けた。行儀が悪いが片足を上げて膝にひじをつく。
一口舐めるように味わうと、痺れるような苦味と甘さが広がった。
そしてグラスの中で氷がからんと転がる音に、忘れかけていた小さな思い出が甦った。
盗一。
彼がステアし、私に差し出してくれたワインクーラー。 さほど酒は強くない私を、盗一は時折自ら作ったカクテルでもてなしてくれた。
〝君にはこのくらいが丁度良いだろう?〟そう言い、ウィンクして…。
ふと見ると、白い鳥が都会の夜空を舞っていた。
窓から降り、テレビを点ける。
ニュースキャスターが興奮気味に今夜の怪盗の華麗なショーの様子を伝えていた。私は先刻脱ぎ捨てた上着を掴むと、急いで部屋を飛び出した。
一陣の風が吹き抜ける。
足が震えるような気がした。 立ち入り禁止のチェーンを乗り越え、私はホテルの屋上へ走り出ていた。
気が遠くなるような地上数十メートルの高さの縁にマントを靡かせ立っていたのは、果たして白い姿の怪盗だった。年若い少年のはずの。 しかし……その気配は私が知る少年ではなく、まるで、まるで────。
〝今晩は、名探偵。やはりこのホテルでしたか〟
怪盗は私に向かって『名探偵』と、そう言った。
「キッド、なぜここへ…?」
〝つい先ほど、貴方の息子さんを巻いてきたところですよ〟
フフ、と怪盗がモノクルの飾りを揺らして微笑む。
〝少々手違いがありましてね。これを戻し損ねました〟
怪盗が白い手袋の指に持って翳したのは月明かりを弾く半透明の不思議なジュエル。
〝昔のよしみと言ってはなんですが、貴方から元のところへお戻しいただけないでしょうか?〟
遠くパトカーのサイレンが聞こえていた。怪盗にはゆっくりする時間は無いようだ。私は頷いた。
「預かりましょう。私でよければ」
私は怪盗が立つ屋上の縁へ向かった。ヘリポートになっている屋上に柵は無い。頭の奥にはこの高さを怖いと感じる自分がいるのに、とにかく怪盗の依頼を引き受けなければとその一心で私は真っ直ぐに怪盗の元へ歩み寄った。
サイレンの音が少しずつ大きくなっている。私の鼓動も。
一段高い縁に立つ怪盗は、私に向かって微笑みを浮かべていた。風に大きく舞うマントが、まるでデジャヴのように私を幻惑する……。
「妖精(ニンフ)の涙…ピンクドロップ、ですね」
怪盗から渡されたジュエルの愛称。世界でも稀なベリル、エメラルドの変種だ。私がジュエルをハンカチに包んで上着の内ポケットに入れると、怪盗は〝息子さんによろしく〟と言った。
怪盗は私のすぐ目の前で微笑んでいた。
胸が……締め付けられる。
いまがいつだか、判らなくなる。
あの日、私の目の前から飛び去った〝怪盗〟。引き止めれば良かったと、どれほど後悔したか────。
私はほとんど無意識に怪盗の胸に顔を寄せていた。目を閉じてその背に手を回す。
キッド。キッド。愚かだと笑ってくれ。私はいまも君が恋しいのだ。……そう胸の奥でつぶやきながら。
〝私を捕まえますか?〟
私の肩に手を置いた怪盗が囁いた。
ハッと我に返る。
「あ、…失礼。私としたことが」
慌てて怪盗から離れ、数歩退いた。
〝名探偵が二人揃ったら、私も流石に困ります〟
口元に笑みを湛えた怪盗がそう言う。
「いや……、君のライバルはすでに息子が担っている。私の出番など……。本当に失礼した、怪盗キッド。もう行きたまえ!」
すっと伸ばした左手の指先をぐるりと大きく頭上に躍らせ、怪盗が恭しく礼をする────。
「怪盗キッド!!」
白いマントの残像を残し、怪盗は飛び立った。
近付いてきた赤色灯の瞬きを軽く飛び越え、白い翼が遠ざかる。
私の記憶を撹拌(ステア)するキッドとの邂逅。
私はしばらく屋上で風に吹かれ、怪盗が飛び去った方向を眺めていたが、自分がジュエルを預かったことを思い出して慌てて階下へ降りた。
さて、このジュエルをどうやって戻すべきか。
息子に渡しても良いが、おそらく経緯を尋ねてくるだろう。息子が探偵としての自尊心を損ねるという事も有り得る。困った。警察に届けようにも、さらにいろいろ面倒かもしれないと考え、ここはさり気なくそして素早く対応しないと依頼人である怪盗の沽券(こけん)にも関わりかねないと思い至り、私はさらに慌て出した。
楽しい慌ただしさだ。一計を案じる必要がある。そうだ、早い方がいい。今夜のうちに返してしまおう。
私は部屋には戻らず、そのままエントランスからタクシーに乗り、怪盗が今夜ショーを行ったタワーへと向かった。
心はあの〝怪盗キッド〟と知恵を競い合った十年前に戻っていた。
ステアされた私の中の〝怪盗キッド〟。 息子が翻弄され、夢中になるのも無理はない。
その微笑みは、程良い味わいのカクテルのよう────。私の心をくすぐり楽しませてくれる、まさに珠玉のマジックだった。
車の窓から月を目で追いながら、私はポケットのジュエルを服の上から抱き締めていた。
20121127
[13回]