空耳 (1/2)の続きです。
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快斗ー!?
呼び声を無視して、聞こえない振りをしてダッシュで裏門を駆け抜けた。
あれで連中の気が済み、俺に興味を無くしてくれればと思ったが、現実は甘くなかった。
三日もすると、奴らの影が再びチラつき始めたのだ。俺は落胆した。どうすればいいのだろう。このままでは、また――。
走りながら塀を飛び越え、一人を巻く。
二人目も柵を踏み台にかわして路地裏へ。
とにかく学校から離れたかった。後ろに回り込んで三人目を階段から蹴り落とす。
学校からはかなり離れた。
少し立ち止まって息を整える。
「…!」
手前と左右から合わせて三人。裏からも足音が近付く。
――何人いるんだ、奴ら。
互いに通信を取り合っているのだ。
自分が狩られる獲物であることを
痛感する。
ただ逃げるだけではダメだ。危険を先延ばしにするだけ。
どうする。どうする――
身軽だねぇ~クロバくん。
気に障る声。正面にさっきの三人。あーそびーましょ。と、いつの間にか背後にも三人。
やるしかない。
閃光弾を忍ばせて狭い路地の塀を背にして立った。
それでもまだ迷っていた。
危険を冒して、目の前の六人を倒せるか。倒せたとして、発覚すれば正当防衛だとしても警察で取り調べを受けるかもしれない。
万が一警察に家宅捜索などされたら。
――そう考えると、動けない。
誰にも助けを求められない。キッドである事がこんなふうに枷になるなんて。
こないだは悪いことしたよなぁー。
リーダー格らしい背の高い男が一歩近寄る。
俺らだけイイ思いさせてもらってさあ~。だけどクロバくん痛くて泣いてたみたいだったし、今日はお詫びに来たんだよね。今度はうんとイイ気持ちになるように、ちゃーんとイカセてあげなくちゃと思ってさあ。
ヒャヒャヒャ、と他の連中が哄う。最低のヤローども。出来るなら全員ぶっ殺してやりたい。
――おそらく数日様子を見て、警察や学校に動きがないのを確かめてから再び襲ってきたのだろう。少しでも相手に弱味があると感付けば、何処までも付け込んでくる。
突破口を探す。
たが、迷った分、間合いは詰まっていた。
「…!」
不意に喉元に紐が喰い込み、足が浮く。壁の上から引っかけられたのだ。首が吊られる。
「クッ――」
壁を蹴ってもがいたが、動くほど紐が喰い込んでゆく。
ゲラゲラと笑い転げる声。
ざぁんねん、もう一人いましたー。
潜んでいた男の声が頭上から響く。
――こんな連中に。
喉を絞められる苦しさと悔しさに涙が滲んだ。首に食い込む紐を、指で掻き毟しる。
ほーんと、クロバくんの細腰たまんないよね。そこらのオンナより何倍もそそるよなァ。…あれ、新しいベルトしてるんだ? またすぐ切っちゃうからいらねーのに。もったいね~。
嘲笑う声も霞がかかった視界でよく見えない。力が抜けてゆく。
ああ――。
ガクン、と衝撃があって投げ出された。
喧騒。誰かが大声を出している。
サイレンの音―― 。意識が遠のいて、今が何時なのかわからない。
俺は、怪盗キッド。警察に捕まるわけにはいかない。脱出しなくては。だけど体が動かない…。
「キミ、しっかりして! 警察よ。もう大丈夫だから安心して!」
あ…。
見たことある女刑事。工藤に変装した時に会った、確か佐藤美和子っていう――。
げほっと喉が鳴り、咳き込んで大きく喘いだ。
やっと息をついて体を起こすと、連中は大勢の警官に取り囲まれ、手錠をうたれて連行されていくところだった。
何が――起きたのか。
「……ど、どうして…?」
「ずっとマークしてたのよ! 良かったわ間に合って。あいつらとんでも無い犯罪グループなの。なかなか尻尾出さなくて…でも、今回は通報が早かったから」
通報―?
悔しいが助けられた。
心底、安堵していた。
独りの限界を思い知った。今度ばかりは…。
まだ震える指で喉を押さえてうずくまると、心配した佐藤刑事が警官のジャンパーをそっと肩にかけてくれた。
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礼を言いに来た。つもりだった。
だがしかし、名探偵の爽やか過ぎる笑顔に、ついそっぽを向いてしまう。
「おいおい、ツンデレか?」とか言われるとますますイラッときて、さらに素っ気ない顔になる。
警察からは割合早く解放された。前回の件は申告しなかった。連中はそうでなくても余罪には事欠かないようだったし、俺も警察に長居したくなかったから。
刑事達は明言しなかったが、ある人物が連中のネット上のやりとりやメールをハッキングして次のターゲット(つまり俺)を特定し、おかげで早期出動につながった、そしてあの現場にいち早く駆けつけることが出来た――という話だった。
警察からは、何故俺が連中に付け狙われるようになったかの説明を求められ、その点は正直に話しておいた。そのくらいは問題ないだろう。
それよか、通報したという『ある人物』。
――工藤しか、名探偵しかいねえ。
「来てくれたと思ったら、さっきから何ムクレてんだよ、黒羽は」
(だってよ…)
イジケたくもなる。
俺があんな目に遭って、あんなに苦しんだのに、名探偵はいとも簡単に解決の糸口を手繰り寄せ、警察をも容易く動かし、鮮やかに犯人逮捕へ導いたのだから。
秘密を持つと言うことが、こんなにも自分を縛るなんて。
自分には出来なかった。
自分も追われる身だから。
公明正大、公私とも陽の光を浴びる正義の味方には、とてもかなわない――。
「おら、いーかげんコッチ向けっての」
「……………」
「何だよぅ。そんな恨まれるようなことしたかよ、俺」
とりあえずその質問には首を振る。
「だったらさ」
ウキウキ腰に腕を回され、また少々憮然とする。
「――なんだよ、これ」
急に工藤の声のトーンが低く変わる。
「なんだよ、この痕」
怒っている。やられたのは俺だ。
「別に工藤が怒ることねーだろ」
しかしグッと喉に手を伸ばされ、俺は竦んでしまった。
工藤の、名探偵の指が俺の顎を持ち上げ、吊られた首の擦過痕をじっと
見詰める。
なんだか苦しい。
「……気を失うトコだったけど、危ないとこでケーサツに助けられた」
お前に助けられた、とは言わなかった。癪だから。俺も意地っ張りだ。
パン!
衝撃が――左頬がビリビリして、平手を喰らったことに気付く。
「――テッ。なにすんだよ!」
両腕を掴まれた。痣になった場所がまだ痛い。
「おめーは危なっかし過ぎんだよ…!」
彷よい揺れて陰る黒羽の瞳に、俺はジリジリと苛立つ。
コイツは何もかも一人で抱え込もうとしすぎる。
それでもキッドである時なら日常に戻ってしまえば当面の危険は去るだろうが、黒羽快斗では――それはもう弱点にしかならない。
だからあんな下衆どもに付け込まれる羽目になっちまう。
あれから(この前 黒羽が俺の元を去ってから)俺はほぼノーヒントのまま必死に情報を集めた。判っていたのはグループで一人を相手に暴行するような卑劣な相手らしいという事だけ。
丸二日は全く手探りで気持ちが急くばかりだったが、三日目になってついに膨大な通信の傍受の中から「E高校のK」という言葉が含まれる一文を見つけ出した。
手繰ってみるとビンゴだった。
Kが黒羽を意味すると確信して、俺は
逆上した。真っ先に黒羽に再び危険が迫っていることを知らせたかったが、なんとかこらえた。グループは警察でもマークしていたが、検挙に必要な決定的な証拠がなかった。
証拠も素性も俺がまとめて集めてやる。
チャンスは一度。 あらゆるコネを駆使して警察を説得し、動かし、犯人グループ逮捕の包囲網を築かせたのだ。
………そりゃあ大変だったんだ。
でも、黒羽は俺がちゃっかり警察の手を借りて、さもラクして自分は後方から高みの見物をしていた――ように思っているのだろう。
そーじゃないんだって。あえて現場に出向くのを我慢したのも、一般市民の運悪くターゲットにされた少年と面識があることがバレたら根本的にマズイと思ったから。だから佐藤刑事たちを信じて、連中の通信をハックし黒羽の動きをトレースして知らせるという裏方に徹したんだ。
なのに黒羽は俺の努力をちっともわかってくれてない。それが寂しい。黒羽を助けたくて、俺は――本当に必死だったんだ。
黙りこんだ工藤をチラと見やる。
(……あれ…)
工藤の目が赤く充血していた。
そういえばなんだか疲れた顔してるかも。会った瞬間は脳天気にしか見えなかった笑顔だけど、こうして近くで見ると目元にうっすら隈まで浮いている。ダンディーを自認するイケメン探偵には珍しい――。
そうして俺は理解した。
連中の尻尾を捕まえるために、俺を救うために工藤が裏で奔走してくれていたこと。
そうだ…俺は工藤に、ヒントらしいヒントは何も出していなかった。
「黒羽」
工藤の声が掠れていた。
「おまえが大切なものを守るために自分を投げ出したように」
名探偵の言葉に胸がズキリと痛む。見透かされていた。
「俺は――おまえを」
――唇を温かいものが包んだ。
黒羽からの口付け。ああ…――。
「ありがとう、名探偵」
「…んじゃ、いいんだな」
「えっ」
「約束果たしてもらうぜ」
もちろん、覚えている。しかし。
「工藤…とりあえず、寝ようぜ」
「ああ?」
「寝てないだろ」
「――逃げる気じゃないだろな」
「逃げないよ」
「いいだろう。そんかわり、起きたら戴くぜ。おめーにタップリ教えてやっからな」
「何を…?」
「愛のある本物のセックスってやつをさ。覚悟しやがれ」
赤く血走った目で、ニヤリとしながら言われても。
「………わかった」
吹き出すに吹き出せない。さすが名探偵としか――。
灯りを消し、手をつなぎ、ベッドに横になる。
眠かった。こんなに眠くて幸せなのは初めてかも。
おやすみのキスを交わして、互いの温もりを感じながら眠る。
愛のある本物のセックス――
俺は小さく笑った。
そんな科白、よく臆面もなく、面と向かって言える。だが、それも俺の心の疵を癒やすために発せられたものであることは解っていた。
工藤はすでに寝息をたてはじめていた。
静かな夜。静かな夜更け。
おやすみ――ありがとう、名探偵。
もう一度囁いてから、俺も睡魔に身をゆだねた。
20110823
[24回]