秘密《1/2》(カテゴリ★デジャヴ)
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『おばさん、きれいだからこれやるよ!』
ポンと小さな煙幕の中から差し出されたかわいい一輪の薔薇。
小さなマジックを披露して私を〝オバサン〟呼ばわりしてくれたヤンチャそうな男の子。
あれは…私の〝騎士(ナイト)〟の一人、黒羽盗一氏があの日連れてきていた彼のひとり息子だった。
名前をなんて言ったかしら…。
当時黒羽氏は日本が誇る世界的エンターティナーで、どこまでも紳士、どこまでも華麗な天才マジシャンだった。彼に憧れていた女性の数多かったこと!
こう言ってはなんだけれど……私も実はその一人だった。黒羽氏はとても魅力的なひとだったから。それはマジシャンたる所以(ゆえん)かもしれなかったけれど、微笑む表情が謎めいていて、何かを秘めているような眼差しや仕草に、会うたびときめくような気分を味わうことが出来たっけ…。
もちろん、優ちゃんの次に、だけど!
その黒羽氏が突然の事故で亡くなった時のショック。
信じられなかった。彼ほどの天才がショーの最中(さなか)に命を落とすなんて…!
あまりに唐突に訪れた憧れの〝騎士〟との別れに、私は驚き、溢れる涙を止めることが出来なかった。
――あの時、優ちゃんも泣いていた。
書斎の椅子に座っていた優ちゃんの膝に縋り付いて大泣きする私の髪を撫でながら…優ちゃんも目にいっぱい涙をためていた。
髪を撫でてもらいながら、ぽたぽたと零れ落ちる優ちゃんの涙の雫が髪に落ちるのを感じていた……。
『黒羽氏には新一と同い年の息子さんがいるんだろう。切ないね。お気の毒だ、本当に……』
そう言って優ちゃんも私と一緒に泣いてくれた。悲しみを分け合ってくれた。そう思っていた。
定かではないけれど…ちょうどその頃だったように思う。優ちゃんの様子が一時期おかしくなったのは。
ちょうど次回作の締切が迫っていて、前作を越えるものをとプレッシャーもあったのだろうか。優ちゃんは書斎に閉じ籠もりがちになり、来客にも会おうとせず、まるで鬱(ふさ)いだようになって――やたらと声をかけるのも憚(はばか)られ、私も様子を窺うことしか出来なかった。
ある夜。
珈琲を運び私は書斎のドアをノックした。
けれど中に居るはずの優ちゃんの返事がなくて……私は不安になって、もう一度大きくノックしてから恐る恐るドアを開けた。
すうっと吹き抜ける風。
春の夜風が――吹き込んでいた。
窓が大きく開け放たれて――淡く蒼白い月の光が暗い部屋の床に射し込んでいた。
優ちゃん…?
机にはウィンドウだけが眩しいノートPCと書きなぐったメモ類が散らかっていて、そのメモが風に巻かれて一枚、二枚とひらひら部屋に舞っていた。
私は慌てて持っていたトレーをサイドテーブルに置き、メモをひろい、窓を閉めようと手を伸ばした。
すると……
優ちゃんが、ベランダに手をおいて佇んでいた。
青白い月明かりに向けられた横顔。
空を見上げて――滂沱として頬を流れ落ちる涙。
優ちゃんは声もあげず静かに、静かに泣いていた。
優ちゃんが私に気付いて振り向く。
『……驚かせてごめんよ』と優ちゃんは私に言った。涙に濡れた頬を月明かりに光らせて。
どうしたの…? なぜ泣いているの? ――と私は訊いた。訊いて良いかどうか判らなかったけれど。
『ああ…今夜の月が…あまりに美しいので、堪らなくなってしまった』
優ちゃんは言いながら私の手を取り、私を抱き寄せた。ごめんよ、とつぶやいて。
『いまだけ……今夜だけ泣かせておくれ。あとはもう、振り返らないから』
そう言って優ちゃんは声を殺して泣いた。ベランダの月明かりの下で…私を抱いて震えながら。
なにがあれほど優ちゃんを悲しませていたんだろう。でも、それ以上訊くことはできなかった。深い悲しみが私にも痛いほど伝わってきたから。
優ちゃんが泣きやむまで、私たちは抱き合い、春の夜風に吹かれていた。
部屋の置時計だけが流れゆく時を無常に刻んでいた。
ただ…ずっと、チクタクと。
優ちゃんはそれから一日も経つと気を取り直したように精力的に原稿に取り組み始めた。〝闇の男爵〟はさらに魅力的なキャラクターへと変貌し、担当編集者を大喜びさせた。新刊が出版されると期待通りの大ヒットで重版につぐ重版。だからといって決して優ちゃんは驕ることなく、以前と変わりなく優しく、ときどきオマヌケで、けれど研ぎ澄まされた推理力を発揮しては警察を悩ませる難事件解決に協力したり――さすが私の選んだハズバンド、と自慢したくなる素敵さだった。うふふ。
やがて新一と離れ、新婚気分で二人でロスに移り住むようになった。
そうした生活にも慣れた頃――あのニュースがロスでも報道されたのだ。
〝怪盗キッド・復活〟のニュースが。
秘密《2/2》へ つづく
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※というわけで工藤有希子さん視点でした。が、一回にまとめるつもりがまとまりませんでしたー(汗)。
[7回]