秘密《2/2》(カテゴリ★デジャヴ)
※工藤有希子さんの独白編です。
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やがて私たちは新一と離れ、新婚気分でロスに移り住むようになった。
そうした生活にも慣れた頃――あのニュースがロスでも報道されたのだ。
〝怪盗キッド・復活〟のニュースが。
見て、優ちゃん! あの泥棒、8年ぶりに現れたんですって。きっと優ちゃんが日本にいないことがわかったからよ!
朝のジョギングから戻った優ちゃんにデイリーニュースを差し出すと、優ちゃんは私の言葉の意味が分からないかのように首を傾げてその場に立ち尽くした。
ホラここよ!
さらに指で記事を示すと優ちゃんの目の色がサッと変わった。
そしてつぶやいた。
『そんなバカな』と――。そう言ったように聞こえた。
ニュースペーパーを私から奪うように手に取ると優ちゃんは食い入るように記事を読んだ。掲載されているややボケてはっきりしない〝怪盗〟の写真を瞬きもせずじっと見詰めて。
けど、やがて興味を無くしたようにポイとペーパーを私に投げ返してきた。
なによ、と言うと『偽者だよ』と言い残して優ちゃんはシャワーを浴びに行ってしまった。
へんなの。
どうして…?
どうして判るの? 偽者だって。
以前はライバルと競い合うのが楽しくてたまらないというように、怪盗の出現を待ちわびてさえいたのに。
何故だろう。
何だろう、このモヤモヤした気持ち。
なにか…はっきりしない。
以前にもこんな気持ちに襲われたことがある。いつだっけ。
いつだっけ……。
チクタクと時計の音がやけに耳につく。優ちゃんのお気に入りのアナログ時計。これは日本の自宅から持ってきたものだ。今はロスの家の玄関に飾ってある。
日本にいた頃は優ちゃんの書斎に置かれていて……音が気にならないの、と訊いたことがある。
『集中していれば秒針の音など一切聞こえない。でも集中できていない時、考えがまとまらない時には音が気になって仕方がない。人って不思議だろ。まぁ、これは僕の調子を計るバロメーターのようなものさ』
優ちゃんはそう言ったっけ――。
なにかが、思い出せそうだった。
日本にいた頃。あれはいつだったろう。
あれは確か……まだ新一が小さかった頃。優ちゃんがこれまで一度だけスランプに陥り、鬱いでしまってとても心配したことがあったっけ。
その時のことを思い出した。
あの時以来だ、なにかざわつくような…こんな気持ち。確か新一が小学校低学年だったんだから、8年も前になるだろうか。
8年。
キッチンのテーブルに置いたデイリーに目が止まる。英字の見出しは訳すとこうだ。
〝8年ぶり再度現れた月下の怪盗〟〝世界を欺く白いマジシャン、日本で復活〟
チクタクと時を刻む時計の音が私を〝その時〟に連れ戻す。
優ちゃんの書斎。優ちゃんの膝。優ちゃんの涙。
…………
なにかがパチンと音を立てて、私の中で繋がった。ぴったりと型に嵌まるように。不意に舞い降りたその啓示は、私を瞬時に虜にした。
優ちゃんと白い怪盗。
優ちゃんと〝怪盗キッド〟はライバル同士だった。キッドが姿を見せなくなった8年前まで。
あの時……優ちゃんは、なんて言った?
なぜだか心臓がドキドキした。時計の音が耳に入らなくなる。
『黒羽氏には、新一と同い年の息子さんがいるんだろう』
私、言ったかしら。
黒羽盗一氏に、新一と同い年の息子さんがいるって話を…優ちゃんにしたかしら。
ぞくっと震えるような気分になって、私はフラフラ歩いてリビングへ行きソファーに座り込んだ。
黒羽盗一。8年前に世を去った天才マジシャン。そうだ。
〝怪盗キッド〟は、もしや彼だったのではないだろうか?
彼が本物の怪盗キッドだったとしたら……とうに亡くなっている。だから優ちゃんはあの記事を見て『偽者』だと断じたのではないのだろうか。
ああ、覚えていない。
あの日、エッセイ執筆のために会った黒羽氏はひとり息子を連れていた。私に小さなマジックを魅せ、かわいい薔薇を差し出してくれた男の子。おいくつですか?と私は訊いた。
『本来私のような者は私生活を無闇に表に出すべきではないのですが、この子を連れてきたのは私ですし、ここだけということなら貴女に隠すこともないでしょう。実は……は、貴女の息子の新一くんと同い年なのですよ』
世間には秘密のプロフィールを私に打ち明けてくれた黒羽氏に、私は一層近しくなれた気がして嬉しかった。是非ご家族で家に遊びにいらしてください、と言って…男の子に手を振って別れた……。
あの時、黒羽氏も新一の歳を知っていた。何かで見知っていたのだろうくらいにしか思わなかったけれど。
私、優ちゃんに話したかしら。
黒羽氏がお子さんを連れてきていたとは言ったかも知れないけれど、マジシャンの秘密の素性を、優ちゃんだからと言ってすぐに話したりするかしら。それとも、はしゃいで言ってしまったのかしら。
覚えてない。
心臓のドキドキは、それでも少しずつ治まってきたようだ。深呼吸をした。
そして落ち着いてくると、さっきの啓示は私の中で一塊の〝事実〟になった。
優ちゃんと〝怪盗キッド〟黒羽盗一氏には繋がりがあった。
ライバル同士だったはずの二人は、実は互いの素性を知る近しい存在だった――。
もちろん、憶測でしかない。私の想像力が遠い記憶の欠けたピースを補って造り出した幻かもしれない。
それでも。
だとしたら解る。納得がいく。
だから。だから、優ちゃんは……あの時あんなに鬱いで…あんなに悲しんで――。
『有希ちゃーん、朝食食べないのかい?』
キッチンから聞こえる優ちゃんの声に、私は立ち上がった。
私は自分の心の中で〝事実〟と解ったことを、優ちゃんには言わないことにした。
これは私の秘密。
優ちゃんには優ちゃんの秘密があったのだ。だから、私も優ちゃんに秘密を持つことにする。
勝てるはずのない相手へのささやかなジェラシー。すでに亡い、優ちゃんの記憶の中にだけ生きる人。私が優ちゃんを守るの。優ちゃんの秘密を、私が守って生きてゆくの。
数ヶ月が経った。
優ちゃんが『偽者』と言った〝怪盗キッド〟は、あれから頻繁に姿を現すようになり、警察を煙に巻いては月下の華麗なショーを繰り広げている。
いつしか優ちゃんはそんな怪盗のニュースを見聞きするたび、嬉しいような切ないようななんとも言えない顔をするようになった。
〝二代目キッド〟だと、新一と電話で話すのを聞いた。
日本で高校生探偵と持ち上げられている新一が、今はそのキッドのライバルとして怪盗と対決しているらしい。
では……二代目怪盗キッドとは、誰なのかしら。
優ちゃんにこんな切ない顔をさせ、新一を夢中にさせている現代のルパン。
私も一度でいいから淡い月下の光のもとでその白いマジシャンに逢ってみたい。
きっと、ときめくに違いない。
謎めいた微笑み。モノクルに隠した心。美しく夜空に舞うその姿を。
私も見たい。
優ちゃん。
あなたの愛した〝怪盗キッド〟に、私も逢ってみたい――。
20120608
[9回]