硝子の欠片3《3/3》(白馬×快斗)
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『ありがとうございます』と白馬は言った。
そして『さようなら』と。
軽いノリ(のつもり)で自宅へ誘った俺に──たぶん憤りを覚えたんだろう。
つまり俺は軽いノリで白馬を傷付けてしまった。
白馬を連れて家に戻ろうと数歩いったところで、後ろから白馬の掠れた声が聞こえた。
振り向こうとしたら『こっちを見ないで下さい!』と強く止められ、バサッと制服の上着を頭から被せられた。
白馬は言った。
『誘ってくれてありがとう…黒羽くん。しかし、僕は』
『…僕には全く自信がない。こんな気持ちで』
『こんな想いを抱えたまま、君の家に押し掛けるわけにはいかない』
『君にとって僕はクラスメートの一人に過ぎないのだと───思い知るのはつらいのです』
『僕の一方的な想いであることは承知している。押し付けたくはない…僕は』
『今の僕は…自分を抑える自信がないのです。君の良きクラスメートでいられる自信がない。だから』
『やはりここで失礼します。面倒をかけて申し訳なかった。忘れてくれたまえ』
『誘ってくれてありがとうございます。嬉しかった。…さようなら』
───そして、白馬の気配は消えた。
俺は白馬の温もりが残る白馬の制服を頭から被ったまま、自分がどれだけ迂闊な事をしたのか嫌と言うほど思い知った。
これまで通り白馬と距離を保ったまま誤魔化そうとした。自分に都合がいいように。
白馬のあの告白を、俺はスルーしようとした。
もしも立場が逆だったら…?
そう考えたら、ずんと胸が苦しくなった。
自分の狡さが情け無くなった。
探偵だとか怪盗だとか、そんなのは俺の言い訳だった。
自分に想いを向けてくれた相手に正面から向き合おうとせず。自分の気持ちすら認めようとせずに。
俺は──白馬を、傷付けたのだ。
・・・ ・・・ ・・・
───おっは~、アレ白馬、上衣着てねえの?
ええ。家に忘れてきました。
そう応えると、僕に声をかけてきたクラスの男子生徒は『えええ? マジかよ』と仰け反って笑った。
昨日の夕刻、校庭にいた運動部の部員だった。
朝の教室。
射し込む朝日。
しかし僕の心は塞いでいた。
覚悟していたことだ。そう簡単に黒羽に想いが届くわけがない。
追えば逃げる怪盗。
しかし此処にいる僕にとって、彼は怪盗ではないのだ。
彼は…。
考えて考えて、一晩中考えたが堂々巡りだった。
正解なんてない。
それでも僕の想いは変えられない。
もし、あのまま黒羽の誘いを受け、クラスメートとして過ごすことが出来ていたら。
…そうしていれば良かったのだろう。そう出来ていたなら。
予鈴のチャイムが鳴る。
しかし、黒羽はまだ来ない。
毎度のことなので、席に着いたクラスメートたちもさほど気にしてはいない。
大抵黒羽はギリギリに駆け付けるか、先生が来る頃慌てて現れるか、授業中にそっと屈んで後ろの扉から入ってきたりする。
そして〝えへへ〟と頭をかいて席に着き、一頻り先生の小言をくらう。
ありふれた日常の光景だ。
そのありふれた光景を、今の僕は途轍もなく待ち望んでいる。
来てくれ…黒羽くん。
何もなかったことにしてくれて構わない。
僕はピエロに徹しよう。再び固く想いを封じ、離れた場所からただ君を見守るから。
だから…来てくれ、黒羽くん。
───先生、遅いね。
朝の打ち合わせが長引いているのか、先生がなかなか来ない。
クラスの皆がざわざわと私語を交わし始める。
誰かが窓の外を見て『あっ』と声を上げた。
───快斗だ。
───やっと来た!
───なぁにぃ? あの萌え袖!
「……?」
廊下寄りの僕の席から校庭は見えない。僕は皆の声を聞きながら、本を読む振りを続けていた。
───制服の上着、ブカブカじゃん!
───自分の制服じゃないみたい~。
そして誰かが言った。
───白馬の上衣だったりして。
───えっ、なんで?!
皆が一斉に僕を見る。
僕は上衣を着ていない。シャツの上はベストだけだ。
───うそお~。
───白馬くん、上衣は?!
───なんで快斗が白馬の上衣着てんだよ?
ざわざわと浮き足立つ教室。皆が席を立って窓際に集まる。
本鈴が鳴った。
扉が開き、入ってきた担任の先生が吃驚する。
───どうしたの? みんなちゃんと席に着きなさい! 何を見てるの。
───先生、ちょっとだけ待って。
───黒羽くんが。
黒羽くんが?と反復し、先生も教壇を横切り窓際へ近付く。
そして窓を開けた。
───こらーっ、黒羽くん、何してるの。早く教室に入りなさいーっ!!
先生の声は、思いのほか校庭に響き渡った。
───あれ、快斗のやつ真ん中で止まったぞ。
───黒羽くん、こっち見てる!
》》はーくーばーーーーー!!!《《
黒羽が叫ぶ。
わっ、と皆が湧いた。
(…はくば…はくば…はくば───)と、校舎に黒羽の声がぶつかってまだこだましている。
───白馬くん、ほら!
───白馬、快斗が呼んでるぞ!
───何やってんだよ、こっち来いよ!
僕はまだ動けず、席に着いていた。
黒羽が何を始めるのかとクラスには期待感に満ち、それぞれが小さく歓声をあげている。先生も暫く事の成り行きを見守る様子だ。
それでも僕は席を立てなかった。
覚悟をしてきたはずなのに。黒羽の次の一言が怖くて。
》》白馬ー、いねえのかーーっ!!《《
ガタガタガヤガヤと廊下に他クラスの生徒の気配がし、白馬いるじゃんか、と声が聞こえる。
───白馬くん、来て!!
駆けてきて僕の腕を掴み、引っ張ったのは中森さんだった。
誰かが後ろから僕の体を引っ張り上げる。昨日校庭にいた、さっきのクラスメートだ。
》》白馬ー!よく聞けー!一回しか言わねえからなーー!!!《《
(…いっかいしか…いっかいしか…)
こだまする黒羽の声。
僕はクラスの皆に押され、窓辺にたどり着いた。
黒羽がいる。校庭のど真ん中に一人立ち、僕の上衣を着てこっちを見上げている。
目が合った。
》》白馬ー!!、俺も…お前の事がーーーーっ……《《
ドクン、と、心臓が跳ねた。
静寂。
学校全体がしんと静まりかえる。
遠くの電車の音が聞こえるほどに。
まるで人っ子一人、いないかのように───。
》》俺も、白馬が、好きだーーーーーーっ!!!《《
(…はくばがすきだー…はくばがすきだー……)
わんわんと校庭に黒羽の声がこだまする。
僕は小さな黒羽の姿を見つめていた。
いま彼は僕に背中ではなく、正面を向けている。
黒羽は僕を見ていた。
───白馬くん、早く捕まえないと快斗また逃げちゃうよ!!
───そうだ、逃がすな、白馬!
───急いで、急いで、白馬くん!
僕は我に返り、そして教室を飛び出した。
大きな歓声が廊下に響いていた。
「黒羽くん!」
「遅せえんだよ!」
駆け寄っていくと、少し頬を上気させた黒羽が眩しそうに目を細めて笑っていた。
───白馬ー、キスだ!キスしろー!
───白黒カップルおめでとー!!
キャアキャアと校舎から声が聞こえる。本当は駆け寄って黒羽を抱き締めたかった。
しかし、学校中の窓という窓から注視を浴びてしまっている。
黒羽の少し手前で立ち止まりかけた時────。
「Lady's & gentleman!!」
両手を広げた黒羽の指先に丸い物が挟まっていた。
ポン、ポン、ポン、ポン!!!!
煙幕弾。
目の前がパステルピンクの煙に遮られる。
奇跡的なタイミングだった。ほんの数秒間、校庭はほぼ無風状態に近かった。
煙幕の中で黒羽が僕に跳び付いてきた。僕は黒羽の体を受け止め、夢中で抱き締めた。
『イテッ』と黒羽が僅かに体を捩る。怪我のことを失念していた僕は、慌てて腕の力を緩めた。
そして煙幕が掠れ、周囲がうっすら見えてきた時、僕と黒羽はキスを交わしていた。
僕が校舎を背にしていたので、おそらく皆にはよく見えなかったはずだ。
黒羽がヘヘッと笑い、駆け出した。僕らのクラスへ向かって。
僕は黒羽を追いかけた。
煙が染みて目が霞んだが、気にならなかった。
20171213
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※肩透かしのお詫び・反省・言い訳・その他諸々は後ほど…(*_*;
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