冬の結晶(中森×キッド)
※中森警部視点よりスタート。
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今夜の東京は雪だ。
それも二十年に一度あるかないかという、大雪警報。
わしは悶々としながら怪盗キッドの予告時間が近付くのを待っていた。
さすがのキッドもここまでの急激な気象の変化は予測できなかったということか。
予告を取り消すというふざけた真似をしたこともあるキッドだが、今度はそんな撤回の通知はない。
本当に来るのか。
吹き荒ぶ粉雪の中を、キッドはいったいどうやって…。
はっ。
わしは自分の頬を両手で一発ぱん!と叩いた。
いかん。何を考えとるんだ。なんでわしがキッドの心配をせにゃいかん。
そうだ、今夜こそキッドを捕まえるチャンスじゃないか。
吹雪が邪魔をしてキッドは飛べない。
では、奴はどこから来る?
「!?」
背に強い視線を感じて立ち止まった。
誰かが、わしを見ている。
じっと目を凝らして。わしが何を考えているのか見透かそうとするかのように。
「………」
そっと振り向いて背後を探った。
いるのは展示室内で配置に付く警官隊だけ。変装したキッドが紛れ込んでいないことは念入りにチェック済みだ。もちろん美術館の敷地は厳重に封鎖してあるし、部外者など入れるわけがない。
ふうと息を吐き出して肩を回した。キッドの気配を感じ取ろうとして、いささか過敏に過ぎとるのか。
例外として現場にいる民間人は、美術館の支配人とその秘書の女性。二人はさっきから展示室の片隅で固唾を呑んで幻と詠われるビッグジュエル〝ホワイトクリスタル〟を注視し続けている。
ふわん、と、甘ったるい花のような香りがした。
「おい」
脇に立つ部下に声をかけた。
「なんか匂わんか」
「ああ、甘い感じの。たぶんあの秘書が付けてる香水ですね。何とかの何番、みたいな」
「ふん」
香水の番号などはどうでもいい。
「その秘書と支配人も間違いなく本人なんだろうな」
「もちろんです、警部」
「誰がチェックした」
「私です!」
「うむ。おまえがチェックしたなら間違いないだろう」
「はい!」
敬礼をしながら大きな声で返答する部下に、わしは頷いた。
信頼してこそ部下は育つ。信頼している部下がチェックをしたなら、わしはそれを信じるだけだ。
「警部、予告時間まであと一分です!」
「よーし、来いキッド! 来られるものならな!!」
いよいよだ。
キッドはどこから、どうやって現れるのか。
そわそわと浮き足立つような感覚に、肌が粟立ちはじめる。
これは…武者震いだ。
キッドの登場を待ちわびて─────キッドが姿を現すのを今か今かと期待して────いるわけじゃない。決して。
あと三十秒です。
耳元で部下が囁いた。
・・・20。
・・・15。
・・10。
9。
8。
7。
6。
5。
4。
3。
2。
1。
0。
─────フッ。照明が落ちた。
「来たか、キッド!!」
────ばりんっ。
続けて、頭上で何かが砕け散る音。
─────ひゅうう。
さあっと刺すような真冬の冷気が降り注いでくる。見上げると、真っ白な粉雪が天井の丸窓から帯のようになだれ落ちてきていた。
まるで神話の世界の、神々の地に白煙をあげて舞い落ちる幻の滝のように。
天窓は耐震Aクラスの三重構造と聞いていた。まさかこの悪天候の中、あの天窓から入ってくるつもりなのか?!
「こいつはキッドの陽動かもしれん。ジュエルから目を離すな!」
だが、振り返ったわしの目に飛び込んできたのは、20名ほどもいる警官隊がいつの間にか全員床に崩れ落ちて眠り込んでいる姿だった。
そんな、ばかな。
ジュエルは。
ない! なくなっている!
展示ケースには電磁センサーが取り付けられ、触れば感電する仕掛けになっていたのに!
「くそ、キッドめ! 配線に細工をしたかっ」
しかし、なぜだ。わしはなんともないのに、どうして警官隊だけが眠らされた?!
─────こんばんは、中森警部。
「……!」
驚くほど間近に怜悧な気配。
ごくりと息を呑み込んだ。
ゆっくりと首を巡らし、真横に立つ部下を見る。さっきまでキッドの予告時間をカウントダウンしていた、わしの部下。
堅気で真摯で仕事熱心な、わしが最も見込んでいる部下の目が、不敵な光を宿す神出鬼没の〝怪盗〟の瞳にすり変わっていた。
「き、きさま、怪盗キッド! いったい、いつから…」
「一時間ほど前でしょうか。警部が支配人と話し込んでいらした時です」
「なんだと?」
ちょうど同じ頃、部下も外の別隊に呼び出されてこの場を離れていた…あの時か。
部下に呼び出しを伝えてきたのは────秘書の女!
わしも狼狽えていたのだろう。警官隊と共に支配人も倒れていたのを見逃した。一緒にいた秘書の姿が、その側から消えていることにすぐに気付かなかった。
「キッド、貴様…、秘書に変装していたのか!?」
「残念。ハズレです、警部。私はこの通り警部の部下に」
「なんだと。それじゃあ」
シュッ。強い香水の匂い。
吹き付けられた方を向くと、消えたと思った秘書がにこりと微笑んでわしを見ていた。
キッドより小柄だ。細い爪先、くびれたウエスト……。
これは…女だ。間違いなく。
「仲間…か、キッド」
「申し訳ありません、警部」
ばさりと白い布が目の前を覆った。
部下と秘書の姿は瞬時に消え、現れたのはモノクルを揺らし小首を傾げた小憎たらしいあの怪盗。
「本来なら、いつも通り一人で参上するつもりでいたのですが」
怪盗は、心底申し訳無さそうにお辞儀をした。
────警部、このビッグジュエル〝ホワイトクリスタル〟は暫し預からせていただきます。私が求めるものであるのかどうか、はっきりするまで。
どうか、ご容赦を─────。
朦朧となって膝を着いたわしに向かって恭しく礼をすると、キッドは粉雪が吹き込む天窓へ、まるで吸い上げられるようにして姿を消した。
くそ…、またしても。
手を着いた。眠い。
睡眠ガスはキッドの常套手段だ。中和剤を予め飲んでいても、だめか。
あの秘書の…香水のせいだ。部屋全体に充満するガスよりも高い濃度で、直接吸い込んでしまった。
床に両手を着いて、重い首をかろうじて持ち上げる。
しばらく…ジュエルを預かる、だと?
今にもくっつきそうな瞼を必死に持ち上げ、窓の外を見た。
美術館最上階の窓から見えるのは、暗い夜空に狂い舞う白い粉雪。細かな雪の結晶を纏い、キッドの翼が一直線に滑空してゆく。
飛べるのか、こんな大雪の中でも。
命知らずめ…。
次こそ。
次こそ、捕まえてやるぞ、怪盗キッド。だから…、だから、墜落なんて……間抜けな真似だけは…するな。
わかったか。
怪盗、キッド。
・・・・・・・・・・・・・・・・
「たくもう、参観日じゃねえってんだよ。いいか、もう絶対俺のシゴトに首突っ込むなよな!」
『ケチねえ。二代目キッドのお手並み、見せてくれてもいいじゃない。めったにない機会だったんだから。それに』
成田に着いた千影さんからの電話。文句を言うと、あっけらかんと言い返された。
「それに、なんだよ」
『中森警部にも会いたかったし』
「……なんで」
『お元気そうでよかったわ、警部。昔と同じように今も怪盗キッドを追い続けてくれてるなんて、本当に感激よ』
「あのなァ。それよか昨日の今日で飛行機ちゃんと飛ぶのかよ?」
『そこは日本、仕事は早いわ。滑走路はきれいなもんよ。あ、ほら搭乗アナウンス。じゃまたね、快斗。寺井によろしく伝えてちょうだい!』
「ええ? ちょ、千影さん!」
《ブチ》
……切れたよ。言うだけ言って。まったく。
俺は携帯電話の画面を見てがっくり肩を落とした。
まあ今回あの雪の中でも計画通り…いや、それ以上にすんなりコトが運んだのは、確かに千影さんが一緒に潜入していたおかげだけどさ。
それにしても調子に乗って警官達に近付いていきやがって、こっちが冷や冷やしたぜ。
さて。このジュエル。
今夜は綺麗に晴れるだろう。パンドラかどうか、早く月にかざして確かめたい。
本当にパンドラだったら…。
中森警部の顔が目に浮かんだ。
パンドラだったら、このジュエルをぶち壊し、怪盗キッドは消える。二度とキッドとして中森警部と相対することはなくなる。
だけどパンドラでないのなら。
オレはまたあの人を欺かなきゃならない。
やれやれ、と思う。
あの人の目を見てると、捕まっちゃってもいいかな…なんてふと思ってしまう自分がいて怖い。
親父の代からの〝怪盗〟を謎のまま封印出来る日が来るまで、俺は捕まるわけにはいかないのに。
てか、もたもたしてっと〝ファントムレディ〟が復活しそうでヤなんだよ。
その前にさっさと片付けたいぜ、まじで。
20140211
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※・・お、お粗末様です(x_x)。ざっくり怪盗キッド様のエピソードの一つということでスルーをばお願いします。雪の中でもキッド様飛べるのかな~って…(^-^;
※というわけで秘書は千影さんの変装だったという設定でした。一時帰国中の千影さん、快斗くんの反対を押し切って無理矢理乗り込んじゃったんでした。しつこく補足しますと、キッド様のマントは特注品ですからサラサラな粉雪なら弾いてしまうので風にさえ気を付ければ飛行はできる!と思います。寒さもあるので短距離なら…視界を確保するためのゴーグル等必要でしょうけども。
●拍手御礼!!
「夜風の香り」、それにひとりごとへも拍手いただきました。ありがとうございます!!
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