key(新一×キッド)
―――――――――――――――
探偵は、俺を好きだと言った。
何を血迷ってんだよ、と俺は応えた。
だってそうだろう。俺は怪盗で犯罪者だ。正義の名探偵とは対極に位置する者だ。そもそも俺の何を〝好き〟だと言っているのか。
何度か追いつ追われつを繰り返していたが、ある時俺は翼を傷めて飛べなくなり、ビルの屋上へと探偵に追い詰められた(ふりをした)。
俺が飛べないことに気付いた探偵は真っ直ぐ近寄ってきて俺の腕を掴んだ。かと思ったら瞬きしてる間に抱き締められていた。
怪盗なみだな、と呆れ気味に探偵の素早さに皮肉を言うと、探偵は当たり前だ、と言った。
「やっと捕まえたんだ。逃さないぜ、キッド」
「怪盗を捕まえてどうするつもりだよ。警察に突き出すとかつまんねー事言うなら俺は失礼するぜ」
探偵を振り切る手段ならいくらでもある。飛べないからといって慌てる事など全くない。ちょっとした気紛れだ。可笑しな事を言う探偵を少しからかってやろうと思っただけだ。
「そんな事すっかよ…」
言い終わるか終わらないかという間に首に手を回されキスされた。
さすがに少々焦って(探偵がこんなにセッカチとは思わなかった)、しかし焦っているのを悟られるのは怪盗のプライドが許さなかったので、されるがままになっていた。
「……!」
このヤロウ。大人しくしてればつけあがりやがって。舌まで入れてきたかと思えば、もう片方の手がタイを引き抜こうと襟を探っている。
「…こ…のっ、放せ!」
振り払おうとした腕は、しかし払い切ることが出来ず、俺の片腕はまだ探偵にしっかり握りしめられていた。
「しつけーなァ、名探偵」
「逃がさねぇっつったろ」
腕を引っ張り寄せられ、腰を抱かれる。
「……これ以上オカシな真似すっと痛い目見るぜ」
「俺に脅しはきかない」
またしても唇を寄せようとする探偵から顔を背けると、耳元にぞくりと異物が這った。不本意ながら思わず体が竦くみ壁に背が当たる。そのまま探偵とともに屋上の床に倒れ込んだ。
セッカチにもほどがある。
だいたい、何で俺なのか。俺の何を求めているのか。
思い当たるのは謎解き好きな探偵が正体不明の怪盗に抱く興味本位の感情だけだ。くだらない。
完全に押し倒され喉に吸い付かれる。いい加減頭に来て小型のスタンガンを取り出すと、俺の気配に気付いたのか探偵の動きが止んだ。
「…名探偵は俺の正体に興味があるんだろ」
探偵が眉を潜めて俺を見詰める。
「お望みならここで正体を明かして差し上げましょうか」
怪盗紳士の口調に戻って微笑んだ。
正体を暴く〝娯しみ〟を奪ってやろうか。どうという事はない。
たとえ素顔を晒したって、名を知られたって、俺を捕まえることなどできやしない。
教えてやった正体をかざしてアホ面して捕まえに来たりしたら、せいぜい哄笑ってやる。そんな名探偵など反吐が出る。
探偵は体を起こして俺をじっと見つめている。俺が素顔に戻るのを待っているのか。いいだろう。
「その代わり……今夜のような不埒な真似は以後控えていただきたい。よろしいですか」
「その約束はできない」
なんだと。
「名探偵。私の正体を知れば満足なさるのでは?」
「わからない。そうかもしれないし、違うかもしれない」
正直な探偵に気が殺がれる。まあいい。少し疲れた。早く帰って休みたくなった俺は、幾らか自棄になっていたかもしれない。
スッと立ち上がると、俺はマントを翻した。
「……キッド…?!」
俺は黒の上着に黒のパンツの黒羽快斗に戻った。
黒のキャップを取り出して深く被る。
「気が済んだだろ。どうってことねぇフツーの人間さ。なんか夢見てたんならすまねーな」
踵を返して探偵に背を向けた。まさか麻酔銃を撃ってきたりはしないだろうが、一応は警戒しながら足を踏み出す。
「待てっ」
「んだよ、もぅ。まだなんか用か」
振り向くと探偵は驚くほど近くに立っていた。
「キッド…名前は。おまえの名を教えてくれ」
どこまでも真っすぐな瞳に、何故かたじろいでしまう。
「…教えてもいいが」
「誰にも言わない」
「………」
なにがしたいんだ、コイツ。ファンかキッドの。夢だけ見てりゃいいものを、謎解き好きの探偵はパンドラの箱の底までめくらずにはいられないのか。
「く―」
「………」
「黒羽…快斗」
「くろば、かいと…?」
探偵が俺の目を見つめたまま微かに首を傾げる。
「字は。どう書くんだ」
「しつこいな、ホント」
「教えてくれ」
なにやってんだろ、俺。なに名乗ってんだ――?
「…黒い羽、快いに北斗の斗」
「黒い羽……黒羽、快斗……」
ふらりと探偵が間を詰める。
「黒羽、快斗。黒羽……快斗…」
不思議なことが起きた。
探偵に繰り返し名を呼ばれるうちに、俺の目から涙がこぼれ落ちた。全く予想もしてなかった自身の動揺にうろたえて目を逸らす。
何が起きたのかわからない。相手が探偵だからか、ほかの誰でも同じように動揺したのか。とにかく思っても見なかった感情に襲われて――俺は飛び退った。
「黒羽、行くなっ」
「もう用はねぇだろ。言っとくがキッドに向かってその名を呼ぶのは御法度だぜ、名探偵。……謎がなくなれば、もう逢うこともねーか」
「世迷い事言うんじゃねえ!」
世迷い事?
それを言うならこっちのセリフだ。最初に可笑しな事言い出したのは探偵だろう。
「黒羽……俺が知りたかったのは、やっぱりおまえだ。キッドである黒羽快斗の、おまえの〝真実〟が知りたいんだ」
気付けばまた腕を捕られていて。
抱き締められて唇を塞がれていた。
俺はもう疲れて――体を包む温もりがあたたかくて気持ち良くて、動けなくなって。血迷って怪盗の掟を破って正体を晒したのは……正体を明かしたがっていたのは、実は俺の方だったんだなぁという事に、ようやく気付いて……。
探偵の背に腕を回し、孤独という謎を解く甘い〝鍵〟をもう一度とねだっていた。
20111114
[13回]